【スポーツ】個人的 歴代PFPランキング(ボクシング編)1~5位
前回の続き
https://overoad.hatenadiary.jp/entry/2020/01/14/144014
第5位
身長168㎝ 戦績:71戦62勝7敗2分(39KO)
1978年12月17日
史上2人目の6階級制覇王者
(10階級移動しており8階級で王者クラスを倒しているので海外では8階級制覇と紹介されることが多い)
元WBC世界フライ級王者。
元WBC世界ライト級王者。
元WBC世界スーパーウェルター級王者。
どんな相手でも果敢に打ち合いに挑みKOを狙うハードパンチャーで、スピードとスタミナに優れリングを縦横無尽に動いて手数で圧倒する試合スタイル。
スーパーフェザー級時代までは鋭く踏み込んでからの左ストレート、ラッシュをメインとしていたが、階級をライト級に上げて以降は右リードジャブ、右フック、フットワークも習得した。
各階級の強い選手との対戦を求め実現させていく姿が評価されている。
母国のフィリピンではパッキャオの試合がある日は犯罪が無くなると言われている(みんながテレビを見るので)
今後このような階級の上げ方で成功する選手はいないと思われる。
第4位
フロイド・メイウェザー(アメリカ)愛称Money
身長173㎝ 戦績:50戦無敗(27KO)
1977年2月24日
オリンピック銅メダリスト
元WBC世界ライト級王者。
元WBC世界スーパーウェルター級王者。
元WBA世界スーパーウェルター級スーパー王者。
史上初の無敗のまま5階級制覇王者
50戦50勝無敗
階級を上げてからはパワーが相対的に減り、
ファイトスタイルもディフェンス重視になったものの、圧倒的なスピードと超人的な反応速度を持ち、
卓越したディフェンステクニックで相手を翻弄し、絶妙のタイミングでカウンターを打ち込むのを
得意とする選手。
圧倒的なスピードとディフェンス技術を駆使して
戦うファイトスタイルに魅了されるファンもいるが、はじめから判定勝利狙いの、ディフェンス重視で危険を冒さず確実にポイントアウトする試合運びを「タッチボクシング」などと揶揄し退屈な試合スタイルだとする声も少なくない。
努力家であることでも知られ、勝つためには徹底した練習、マッチメイクを行う。
ファイトマネーが尋常ではなく、ボクシングドリームの体現者。
パッキャオとの世紀の一戦では3億ドル以上を稼ぎ
歴代スポーツ選手の最高年収を獲得した。
第3位
身長180㎝ 戦績:75戦66勝9敗(47KO)
1969年1月16日
元ミドル級、スーパーミドル級、ライトヘビー級、ヘビー級王者。
4階級制覇王者。
史上2人目のミドル級出身のヘビー級王者
オリンピック銀メダリスト
ボクシング史上屈指の身体能力の持ち主と評される。
「スタイルがないのがスタイル」と言われる通り、相手に合わせて戦法を変えることが出来る。
重量級としては圧倒的なスピードがあり、腕を後ろに回してラッシュをことごとくかわすなど、防御勘にも長けており、キャリアが非常に長い理由の一つとしてあげられることがある。
また、手数はさほど多くないものの、飛び込みざまの左フック、顔面とボディの急所を的確に打ち抜くコンパクトなコンビネーションなど、オフェンスは的確で多彩。
特にジャブとダイレクトブローが冴えていた全盛期の彼には、チャンピオン級の選手であっても触れることすら困難を極めた。
才能だけでいえば、No.1かもしれません。
第2位
身長191㎝ 戦績:61戦56勝5敗(37KO)
1942年1月17日
元統一ヘビー級王者。
ローマオリンピック金メダリスト
鈍重な大男の力任せな殴り合いだったヘビー級ボクシングに、アリは蝶のように華麗なフットワークと、蜂のように鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングを持ち込んだ。
ヘビー級史上最速の一人とされ、
リングを縦横無尽に動き回れる体のこなしだけでなく、ジャブに右ストレートでカウンターを合わせる離れ業をやってのけるパンチのスピードも持っていた。
カリスマ性では歴代随一だと思われます。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
このフレーズはあまりにも有名
第1位
身長180㎝ 戦績:58戦50勝6敗2無効試合(44KO)
1966年6月30日
元ヘビー級統一王者。
身長180cm、リーチ180cm、周囲50cm超の首を誇る。
ヘビー級としては小柄ながら巨漢ボクサーをガードごと薙ぎ倒す桁外れのパンチ力に加え、
ヘビー級では並外れたフットワークとスピード、急所を正確にコンビネーションで打ち抜く高度なオフェンス技術、
そして相手のパンチをガードのみに頼らず、鉄壁のディフェンス技術を武器に次々に大男たちをキャンバスに沈めた。
幼少期は貧困でいじめられていたが、ある時を境に自分の天性の力に気づき、
非行に走る。
12歳までに51回も逮捕され、ニューヨーク州でも最悪の少年が収容される少年院に収監。
そこで更生プログラムの一環として行われていたボクシングと出会い、そのことがカス・ダマトに伝わり、タイソンの才能に驚愕した彼が身元引受人となったため少年院を出所後、ダマトの下でボクシングの英才教育を受けることになる。
破竹の勢いで連戦連勝していたが、カス・ダマトが死去。
その後、世界チャンピオンにはなるが、ダマトが生前最も望んでいなかった
ドン・キングと接触してしまい、それ以来、精彩を欠くようになり、
一般的にこの1988年までがタイソンの絶頂期と言われている。
もちろんその後も連勝は続きますが、輝きは少し霞むようになりました。
現代のヘビー級王者である、クリチコ・ジョシュア・ワイルダーなどに
勝てるのかという疑問がよくありますが、それは時代が違うのでわかりません。
一発の強さなら三人の方が上かもしれません。
ただヘビー級では考えられないスピードと強烈なパンチを連続で打ってくるコンビネーション、並外れたディフェンス力とタフネス。
全盛期のタイソンの輝きを見てしまうと頭から離れません。
まさに男のロマンです。
なんだかんだわかりませんと言いながら、結論としてはタイソンが最強です!